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連載:人ありき
作り手から“美味しさ”の秘密お届けします。                       【2012-10-15】

No.6 ひと夏の思い出 <後編>

機織工場今日はそんな念願がかなって豊さんの畑にやって来ました。
ここは、父の安次郎さんが上京の会社や自宅とは別に、京都府船井郡園部町に土地を求め畑仕事と機織りを40年余り両立させてきた場所です。きっかけは戦時中の疎開先でのお百姓体験だそうで、その喜びが忘れられずここで自然派食生活の実践をして来られたのです。 機織工場に入ると前方には水屋、右手には茶の間があり、左手に大きな機織機が整然と並んでいて、耳を澄ませると今にもカッタンコットンと機織る音が聞こえてきそうです。

紫蘇ジュース 「ちょっと待ってね」と、豊さんは朝一番の畑仕事で汗びっしょりになったシャツを手際よく手洗いし、「今から干せば夕方帰る頃には乾いちゃうからね」と手馴れた感じで外へ。畑見学の前に畑で採れた赤紫蘇の手作りジュースをいただきながら、目の前の貯蔵棚や大きな冷凍庫の中にぎっしりと並べられた手作りの品々を拝見しました。綺麗な色の紫蘇ジュースはすっきりした甘さで紫蘇の味がさわやかでとても優しい味がしました。

里芋の葉 山口さんが用意してくださった長靴を履いて腰には蚊取り線香をぶら下げていざ畑へ。

私と息子にと準備して下さった長靴はどちらも新品で、その心使いに恐縮しました。朝方雨が降っていたせいで柔らかくなっている足元に気を付けながら中に進んで行くとまだ可愛らしい京の伝統野菜の里芋がありました。

里芋の品種は石川早生・やつがしら・琉球の3種類。それぞれ食べ方が異なり、“石川早生”は親芋、小芋、孫芋と育って行くのですが特に小ぶりで丸々した孫芋の味が格別だそうです。茎の赤い“やつがしら”は夏場の味噌汁や吸い物の具材に芋はお正月のお雑煮の為に。京都ではこの芋を霜が降りるまで待って掘り起こし大きく育った親芋を男子の発展の願いを込め縁起をかついでお正月に食べられるそうです。蓮芋と呼ばれる“離宮”は茎のみを酢の物などにして食されます。

赤シソと丸いズッキーニ京都の伝統野菜には、春の代名詞と言える“京たけのこ”から万葉集の初夏の季語とされる“じゅんさい”冬の寒さで冷えた体を温めてくれる“九条ねぎ”など20種類ほどの野菜が今も京のおばんざいを支えています。豊さんの畑の里芋も秋にはふっくらとした実をつけて食卓に登場するのでしょう。他には、とうもろこしが生食できるスイートコーンとポップコーン用が、きゅうりにトマト、今年初挑戦のセロリ、まん丸ズッキーニ、赤紫蘇、しし唐、アスパラガス等々沢山の野菜がつくられています。

きゅうりはご自分できゅうりのキューちゃん漬けを作ったり、この時期旬の焼き鱧や鰻と合わせたり赤味噌を生のスティックきゅうりに付けて食べたりと夏の食卓もバラエティーに富んで楽しそうです。

柿の木緑色の実を付けた柿の木は生食用と干し柿用が、その横には栗の木。機織工場の敷地内だけあってお蚕さんが食べる桑の木が有り、大きく茂った様子から畑の年月を感じました。

この桑の実から作られるリキュールはベルベットを想わせるとてもエレガントな香りと味がします。この香りと味に魅せられて私も良くお菓子に使用しています。豊さんも手作りの桑の実ジュースや桑の実酒を作られているそうです。年中通して収穫された野菜はその時期ばかりではなく、保存食として加工し大切に食べられます。

紅花豊さんは特に染料がご専門なのですが、畑には染料になる紅花もしっかり育っていました。

天皇旗今は現役を引退されたとお聞きしていましたが、ある機織機には織りかけの織物がありました。色鮮やかな紅色と金色を使用した織物は天皇旗というものでした。この旗をお持ちになり外交に行かれたそうです。

畑の紅花からあんな綺麗な紅色が生まれるのです。紅花からは赤・黄の2種の色が抽出されます。季節により染め上げ後の色の仕上がりに違いが出ると言うことですが、作り手による染料の違いや染め上げ加減などでまた色合も多彩に変化するのではないかと思いました。 すると天然染料の復元にこれまで力を注いで来られた豊さんが、こんな話をして下さいました。昭和の天然染料は皆暗い色のものが殆どでしたが、豊さんは200年以上前の色は本当はもっと色鮮やかなのではないかと考え、試行錯誤を繰り返しながら自分なりに考えた平安時代のお公家さんが身にまとった昔の色を再現し、それを東京の博物館に展示してある江戸時代の200年前の能装の裏地と照らし合わせてみたそうです。やはり豊さんの想像通りご自分の作られた色と見事に一致したそうです。この想像力と探究心は凄いものですが、“職人魂”に突き上げられてそれを具現化してしまうと言ことにもっと驚かされました。

虫取りの風景畑見学の最中に山口さん考案の虫取り機を使って息子に取り方をレクチャーして下さいました。この様な手間を惜しまず、一つ一つ手作業で根気よく害虫を取っては丹精込めて育てます。「畑仕事も同様に余所見をしたり手を抜くようなことをすれば、畑も必ず手を抜くものなんです。」と話されました。

工場の方でお手製の玄米餅に青えんどうの餡をつけて一服していると、車の止まる音が。 今日は豊さんのところに週一で釣り立てのお魚が届く日だそうです。さっそく外へ出てみると魚屋さんが窓を開けて準備しています。

よこわ豊さん、氷の上に並んだ魚を見ながら今日のお奨めを聞いて“よこわ”と言う黒マグロの若魚や“金めばる”などその他数種類を選びました。

この園部にはこんな素敵な習慣が今も残っているのです。しかも山里まで来てくれるなんて日本にはどのくらいこういう出張魚屋さんが存在するのだろうか。こういうのはずっと続いていってほしいものです。そろそろ日も暮れないうちに今日収穫した野菜と鶏の産みたて卵も籠に入れて家路に向かいました。

奥様の勢起子さんズッキーニのソテー豊さんのお宅では膝を痛め畑仕事ができなくなっている奥様の勢起子さんが京のおばんざいをこしらえて私達の帰りを待っていて下さいました。

先ほどいただいた青えんどうの餡は勢起子さんのお手製。ぷっくりと炊かれたお豆は小豆餡に匹敵するほどの美味しさでした。自宅でお惣菜から保存食作りにと毎日キッチンで忙しく仕込みをされています。採りたてズッキーニをソテーしてくださる勢起子さんの横で豊さんも包丁を握り先ほどの魚をさばいてくださいました。

お孫さんとスカイプで 食卓にお料理が並ぶ合間に豊さんはスカイプを使ってオーストラリアで暮らすお孫さんとズッキーニを片手に今日の収穫報告をしています。

豊さんのお宅ではこうしたほのぼのした日常をいつも過ごされているのでしょう。家はしょっちゅう、人が集まって来て我が家はまるで居酒屋さん状態なのよと言われる理由が解ります。ごく当たり前の日常をきちんと行うことに、理屈ではない心の豊かさが育まれて行くのではないでしょうか。 

お刺身現役時代、機織工場に働きに来ていた職人さんは「美味しいもん出さへんともう来んようになるから大変でしたえ」と笑いながら話す勢起子さんの言葉から良い仕事をする為には“食”が大切というのはもとより、美味しい料理が如何に職人さん達の活力源になっていたかがわかります。そう考えると食の大切さについて改めて考えさせられます。

食卓の風景自宅から畑までは車で40分程掛かりますが、一日おきに畑に行って夕方まで作業をして帰宅するという生活を70歳を越えた今も続けられています。この夏の暑い畑の中でも。

3歳の頃既に畑仕事を手伝うのを余儀なくされた環境、そしてご両親のつくる野菜を沢山食べて育った豊さんには生まれながらにして野菜の本当の美味しさが解る遺伝子が組み込まれていると思います。元をたどれば全ての人にこういう遺伝子が有るはずだと私は思います。豊さんも亡きお父様のように今まで相当料亭に通われ舌を磨いて来た方です。あるインタビューでお父様の安次郎さんがこう話しています。「畑をやるとわかります、エゴはいかん。何においても環境です。自然科学そのものですわ。人も畑も一緒に生きると、ようけ美味しい野菜が取れまっせ。大根おろし一つでも、味が全然違いますのや。私に欲望というものがあるとしたら、もう一遍自分の作った米に自分の作ったお茶かけて茶漬けを食いたいと思いますわ。あんなうまいもんはおへん。」こういうことは、うまいものの“真実”を知った人にしか決して言えない。このお話を読んで幼い頃に見ていた祖父母や両親の姿が走馬灯のように思い出され感謝の気持ちが込み上げました。

晴耕雨織”をむねとし兄を目標にひたすら生きられた父、安次郎さん。そしてそんな父の後姿を見ながら豊さんも同じ様に生きてこられた。今日もまた畑仕事に精を出し愛情一杯の野菜を育てている豊さん、台所でモクモクと仕込みをする勢起子さんの姿が目に浮かびます。畑の野菜は3ヶ月置きに移り変わって行くそうですが、この時期園部でも栗が落ち始めているそうです。最近、庭のイチジクでジャムを作ったばかりだと楽しそうに話して下さった豊さん。

山口さんご夫妻バブル後、仕事のストレスを沢山抱えていた時、子育てで離れていた畑仕事に復帰された60歳から今日までの12年間に一人で一から十まで全て出来る様になったそうです。畑仕事をしている一時は色んなことが忘れられて精神的に助けられたそうです。当時を振り返りながら、もし畑がなかったら大変なことになっていたかも、とおっしゃる豊さん。機織時代同様に野菜作りにも精を出してやって来られたそうです。どんなことにも一生懸命に熱意を持ってやり抜いてきた人は、歳をとられても綺麗な顔をしていらっしゃる。その顔には全てが刻まれている、だから何の説明もいらない、のではないでしょうか。そんな思いを胸に帰途に向かいながら母の顔を思い出していました。

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小野島ゆかり 【著者: 小野島 ゆかり、パティシエール】
日本の菓子屋で修行をし、ホテルのパティスリー立ち上げからシェフを経験後、1997年に渡白。ブルッセル市内の菓子屋に従事。その後、結婚・出産を経て2002年よりフレンチレストランでパティシエールとして活躍。2009年末、新たなステージを目指してレストランを退職。現在はお菓子教室を開催しながら次のステップの為の充電中。得意なお菓子は、季節の果物を使ったデザート風アントルメ。愛知県名古屋市内の「”Le chapon fin” Les entremets Français」の野畑氏を師匠に持つ。

(ベル通でのインタビュー記事はこちらからご覧ください。)

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